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2013年7月22日 (月)

鳥辺野と勘違い ~延暦寺から清水寺へ~

出張、というと、何故?と言われそうだが、まぁ今年もう一年はよくある出張だ。

滋賀県は大津京駅。湖西線。

広島からは新幹線で京都へ。京都から乗り継いですぐだ。ここが滋賀であって京都でない、ということに違和感を感じるくらい、JR京都駅からは離れていない。

タクシーで乗り合わせて比叡山を登る。

ここは仕事なので割愛。

2013年7月20日。

深夜までの宴会で寝不足のまま、車で来ているIさんに乗せてもらって比叡山ドライブウェイを抜ける...といってもここは抜けるのではなくて、結局引き返すことになり、料金も帰りに支払う仕組みのようだ。

先に書いてしまうけれど、この料金には驚いた。

あの短い距離を往復しただけで1600円ちょっとの有料道路って、ぼったくりではないか...

比叡山に車であがった場合の入場料的に取られているのだろうか。あまりの高さに唖然とした。

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延暦寺、大講堂。

比叡山延暦寺は、東塔、西塔、横川の3エリアに分かれていて、この区間はシャトルバスか自家用車で移動することになる。まぁ歩いても問題なさそうな距離だとは思うのだけれど。

今回は5人で、しかも車に乗せてもらっていたこともあって、一番メイン?の東塔のみ回ることにした。

大講堂の立派な建物、また生活感すら感じさせられる中を見学。中の方はすべて撮影禁止なので写真はない。

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大鐘楼。一突き50円...願いを込めて打つといいらしいが、願うにもお金がいる。

まぁいいのだけれど...

お寺も大変なんだろうな。と思う。

檀家もいるのだろうけれど、これだけの施設を維持するには相当お金もかかるだろうことは理解できるが、お土産的に売られるお守りとか、こういう対価的なものには、少しばかり違和感を感じる。

鐘を打つにあたり、ご寄付を...と書かれれば、別に抵抗はないのだけれど。

一応、50円払って、鐘を突いた。その大きさから、素晴らしい音が響き渡る。

鐘の音はいい。

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国宝の根本中堂。・・・の入り口で記念撮影する外国人集団。

単に観光か?というとそうではないようで、外国人の僧侶のような方もいて、延暦寺の僧侶が案内している。観光というよりお参りに来ている感じだ。

門の中に、とても古く、威厳を感じる根本中堂があるのだけれど、ここも写真撮影禁止。

門をくぐると、左右に廊下があって、まずはここを左に進み、正面へ。

靴を脱いで中に入る。薄暗い構内。

正面の暗闇に仏像(薬師如来)が1200年灯り続ける不滅の法灯に緩やかに照らされて揺らめく。

その暗闇の中は一段低くなっていて、そこに仏像などが安置されている。一番右側の足元下でお経をあげる僧の方がいる。

こういう神社仏閣を訪れるといつも思う。何もこれほどの有名で大きなお寺でなくても...なのだが、空気がしんと静まっている。表現が悪いか?なにか、重たく、でも心を落ち着かせるような空気が漂っている。

特定の宗教についてどうこうと思うところのない僕なのだけれど、こういう場所は好きだ。

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そびえ立つような急な階段をあがると、文殊楼だ。

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この中には、階段、というより梯子と言った方がいいような階段があって、2階へ上がることができる。

・・・といったような、極めて一般的なお参り(観光)をして、今度は京都側へ車で送ってもらう。

そのまま帰ろうか?と思ったのだけれど、googleマップで付近の地図を見ていると、清水寺の下(南西側)に広がるエリアに、鳥辺山管理墓地、という表示が見える。

鳥辺山、といえば、さだまさし「鳥辺野」。

まだ中学生のころにこの曲が入った「うつろひ」というアルバムが出た。

このアルバムには僕の大好きな「黄昏迄」も入っているのだけれど、この当時、どうにもよく分らない曲がいくつかあった。

一つがこの「鳥辺野」だ。いったい何のことを歌っているのか?さっぱりわからない。

♪寂しいからとそれだけで来るはずのない鳥辺野♪で歌いだすのだけれど、鳥辺野が何かわからないので、「来るはずのない」というのは、鳥辺野という鳥??(そんなわけはないが)が来ない、ということ??などと、中学生の田中君は考えていた。

印象的な曲なのに、どうにもよく分らない。

その当時はインターネットもないし、今のようにググってすぐ解決、とはいかなかった。

その後、京都の地名であることは(大人になってから)理解したのだけれど、その程度で、やはり何故こういう詩が書かれたのだろう?という疑問を残したままだった。

一つには、僕のさだ歴は、大学入学ころに少し弱まっているところにも起因する。

あえて探求しようという気持ちがなかったわけだ。

で、今回、鳥辺山の文字を見て、「鳥辺野」、そして「鳥辺山心中」という2曲を消化してみたい、という気になったわけだ。

それなら...ということで、17~18年ぶりに清水寺にも参ってみることにした。

僕と、もう一人、清水寺参拝で途中で車から降ろしてもらう。

まずは一般的な観光道?お土産物屋の並ぶ坂道を上がる。

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久しぶりの清水寺だ。

仁王門を抜けて少し歩くと、隋求堂。

ここは胎内めぐりができる。・・・ということを初めて知った。

一度やってみたかったので、同行のSさんと一緒にお金を払って説明を聞く。

靴をビニール袋に入れ、右手で持つ。

左手は、壁際に手すりのように渡してある大きな数珠を掴み、これを頼りに先へ進むわけだ。

真の闇。

日常生活から真の闇が失われた現代。不思議な感じがする。怖くはないが、自分の肉体が希薄に感じられる。

少し残念だったのは、エアコンのLEDの緑のランプが途中で見えたことか。ここは徹底してかくして欲しいものだ。

それでも闇の中を進むと、ふと丸い石、またそこに刻まれた梵字が浮かぶ。

その闇の中の明かりは、当然人工的なものなのだけれど、不思議な感じがする。石が、梵字が浮かび上がっているようだ。この石は回るようになっていて、これを回してから先に進む。

すぐに出口だ。

もう少し長い距離を歩いてみたかったが、それでも、なかなかよかった。

ふと、思い出す。そこがどこだったか、いつだったか?それは思い出せないのだけれど、僕たちが子供のころには、真の闇に近い闇が日常にまだ存在していたような気がする。

足を踏み出すのが怖い...接地感の薄まる闇。

闇があるから月明かりは美しいし、星も美しい。でもそれらは常に天にあるわけでもない。

いや、雲の上にはあるんだけどね。

やっぱり、何かを得ると、何かをなくすのかな。

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本堂と清水の舞台。

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理系的には、その足組が興味深い。

斜めに梁が入っていない。これは何故なんだろう?斜め梁を入れる方が有利だと思うのだけれど。

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三重塔。

そして音羽の滝。

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ここは行列だ。渋滞だ。

並んでいるにも関わらず、ひしゃくですくった水をペットボトルに入れて、しかも口からあふれるくらいまで必死に入れている人がいる。

そうまでしなくてもいいだろうに...人が少ないならまだしも...

こんなところに来ても、人は欲を忘れない。

さて、暑い。

そろそろ清水寺もいいか。

で、「Sさん。ちょっと帰りは通りたい道があるんですけど。墓場なんですが、どうされます?」

と一応聞く。

清水寺から鳥辺山管理墓地へは簡単に入り込むことができる。

が、ここに入り込む観光客はほぼいない。

まぁ墓場を観光地と考えるものもあまりいないだろうし...当然か。

正確には、西本願寺西大谷墓地、でいいのかな。

鳥辺山、といっても、清水寺から下る坂道のような感じで、少しだけ丘になっている。

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墓場で写真も不謹慎かとは思ったけれど、少しだけ。

調べたところ、この木のあたりが鳥辺山の頂上らしい。

しかし、それにしても墓だけ。

陸軍なんとか...というような大きな墓が目立つ。古い墓所だ。

しかし...

♪木立の間に間に埋もった枯葉♪も、

♪竹はゆら、竹はゆらゆら~♪ の竹も、

当然寒椿の木も見えない。

ん???

この鳥辺山周辺は古くからの埋葬地で、鳥葬、風葬が行われていた場所らしい。

清水寺のにぎやかさが嘘のように、ほんの少し離れただけのこの場所は静かで、もの悲しい。墓所なので当然といえば当然だけれど。

しばらく進むと、

御荼毘所(おだびどころ)という看板があった。

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説明を読むと、親鸞聖人の火葬地らしい。

少し興味を感じて、訪ねてみることにする。

まさに墓場の中を、案内表示に従って、グネグネと進む。

以前、墓場下といわれるポイントで釣りをするときに、「お邪魔します」と手を合わせていたのと同じように、お邪魔します、と手を合わせて墓場を通り過ぎる。

随分進んだような気がする。

突然に階段。

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そこだけ、木が伸びている。寂しげな場所。

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その奥に、親鸞聖人の火葬場所を示す石碑が立っていた。

おそらく、ここまで踏み込む観光客は多くはないだろう。ただ、観光、というような場所でもない。

そんな時間を過ごした。

京都駅にバスで移動し、昼食をとって、新幹線で広島に帰る。

それから、今更ながら鳥辺山について調べてみると(ネットで)...なんと、さださんの歌った鳥辺野は墓場ではなかった...

京都駅から奈良線で東福寺という駅で降りる。つまり今回僕が訪れた鳥辺山から南の方に広がる一帯が鳥辺野のようで、きちんと調べてブログに書いている方がいた。

ちゃんと調べてそこを訪れれば、さださんの歌の世界があったようだ...う~む...

まぁまた今度行ってみよう。思いのほかディープな体験もしたしね。

申し訳ないのは、ほとんど意味もなく墓場歩きに付き合わされたSさんだなぁ...

















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